la vie est merveilleuse!

ふと思いついたことの徒然をゆっくりと

幸せの形

32歳の時、20歳になったばかりの彼と駆け落ちをした。
身一つで。
彼も仕事を辞め、逃避行の後
ドライバーの仕事につき、会社で借りてくれた4畳半一間に住むことができた。
彼がいるだけ。何もない。
お金もなかったので
彼が日当でもらってきた中から100円玉を数枚握りしめて
夕方の値引きされる頃に近所の商店街に買い物に行った。
仲良くなった魚屋さんや八百屋さんによくしてもらったっけ。
まな板もなく、新聞紙を広げてその上で食材を切った。
今では懐かしく思い出せる。
だって楽しかったんだもの。
彼がいて、それだけで。


彼の給与が恵まれなかったので
私が稼ぐ、とばかりに、笑
時給の良かった塾の講師の仕事について
お風呂付きの部屋に移り、
資格を取るために不動産業界に入った。
いきなりの給与が、歩合給なので、80万円。
天職、と思いましたね、笑。
時、バブルの時代の始まり。


不動産会社を興し、代表取締役に収まった。
時代のおかげか会社は順調だった。
以来20数年。
荻窪に家を買うまでになった。
仕事もしたし、主婦では考えられないほど遊んだし。
これは多分、父親の血脈、笑
彼には申し訳なかったかなあ😅
だって楽しかったんだもの。


そして、今。


親も看取り、全てやり終えて
10年前、会社を売り、家を売り、田舎で小さな家を買って
彼と2人でのんびり、と思って引き込んだ。
が、
落ち着くたまではなかったのかしら、笑
好きにしたかった私は、
協議の上、彼に出て行ってもらい、
偶然ながら雀荘をやることになり、
いまだに徹夜で遊ぶ。
こんな私を見捨てずに、優しい彼は何かあると飛んでくる。
今年65歳。20歳から。


私にはその上なんと、2回りも歳下の彼氏さんまでできてしまった。


これは想定外、笑


望外の幸せな形。


大切なこと
私の生きてきた道程には
泣いた人もたくさんいることを知っている。
でも私は、泣いた彼らをかわいそう、とは決して思わない。
彼らは彼らの人生を生きているのだから。
その経験の中で彼らが培われているのだから。
フィリピンのゴミの山でゴミを漁って生きている幼児も
かわいそうと思われたいとは思っていないだろう。
それが彼らの人生なのだから。
かわいそう、と思われた瞬間、彼らはかわいそうな人になってしまう。
私は、かわいそう、と言った人間をぶん殴る派、笑



春色の食卓
赤かぶのポタージュがレディカーライルによく似合う

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