1969年、大学を卒業してすぐの就職先は丸の内にある外資系の銀行だった。
もうひとつ外資のコンピューター会社に内定したが
勤務先が藤沢支店の秘書室だったので、お断りした。
だって、
藤沢と丸の内、当時の女子は絶対丸の内を選ぶ、笑
丸の内OLは今でいう港区女子、だろうか。
勤務時間が終わると、徒歩圏内の銀座で毎晩遊んでいた。
一流どころのお店が軒を連ね、
みゆき座、有楽座、丸の内ピカデリー等々の映画館が並び
デパートがプライドをかけて一流品を並べ
歩いている人も流行の最先端を走る人ばかり。
まだ東京も暗かったころ、
銀座の夜はネオンで光り輝き、華やかで別世界だった。
銀ブラと称してお洒落をした女性や男性がそぞろ歩きをする中
奇麗な丸髷に結い上げた一流クラブのママさん達もご出勤されていた。
当時銀座は一流の街。
日本の流行の発信地。
六本木や青山なんてまだまだ暗かったのよ。
だって、フランスのレストラン、マキシムドパリの海外初出店地が銀座よ。
ソニービルの地下。
開店してしばらくしていったけど、
階段をゆっくり降りて行った先の店内の豪華な内装
洗練されたしゃれた雰囲気に酔ってしまって
どんなものを食べたか覚えてない、笑
銀座の雰囲気は20歳そこそこの女子には魅惑的で蠱惑的。
そこにいるだけで大いなる勘違いをする。
そんな銀座を日々の遊び場にしている丸の内OL。
刺激的で楽しかった2年間。
お仕事もちゃんとやったわ。
外為だったので、毎朝日銀から本日のレートの連絡が入る。
当時のレートはなんと、1ドル360円!
毎日少しずつ変化があるがその前後の数字が入る。
輸出課だったので、朝一番に商社から書類が持ち込まれる
当日レートで決済額を計算して、インボイスその他必要書類を作成して
アメ銀やFNCBやCMB等々決済先の銀行への英文レターを添える。
次々持ち込まれる資料をまとめるために
一日中英文タイプを打ちまくっていた。
おかげでブラインドタッチは超高速で打てる。
腱鞘炎になった行員もいたっけ。
怖いのは間違えると億単位の決済金に影響が出るので
チェック体制は厳しかった。
打ちあがった書類を代理席におく。その後2重3重のチェックを終えてから
担当部署に送られる。
VIVANにあった桁間違いなんて絶対起こせない。起こさない。
華やかな街に通って働いた2年間。
丸の内OLだったのよ、と言っても今はピンと来る人も少ないでしょうねえ。
ミーハーだったのがばれちゃったわね。