la vie est merveilleuse!

ふと思いついたことの徒然をゆっくりと

こんな夜中に料理かよ

どこかで似たような映画のタイトルがあったような、笑


年を重ねるとあるあるらしいのだが
夜中の2時3時に目が覚める。
しばらく寝る努力をしてもダメな時は起きて
ホットミルクにビスケットを添えて、ベッドに戻る。
気分はRoman holidayのヘプバーン、笑


たまに、エイやっと起きてしまって
思いついた料理を作り始める。
メインはこれ、サイドはこれ、とあれやこれやメニューを考えて。
思い通りに作り終えて食器を選んでテーブルセッティングをして写真を撮る。
その後ゆっくりいただく。
夜中の3時4時、時には5時になっている。
こんな夜中に料理かよ、笑
数少ない趣味の一つ。
そして、明け方もう一度眠りにつく。
時間に制約のない老人の特権😅


食べることが趣味、は父の影響だと思う。
父は、目端の利く人だったせいか、戦後の混乱期の物資のない中
闇屋のような仕事をいくつもして、家族には不自由をさせなかった。
一つ覚えているのは
米兵がジープで家に乗り付ける。
車からガソリンを抜く。
それをタクシー会社に高値で売る。
物資のない時代、飛ぶように売れたらしい。
ガソリンを抜いている間、米兵たちにいつもたくさんお菓子をもらった。
甘いものの貴重な時代。
砂糖がなくて、サッカリンが流通していた時代。
give me chocolateという単語を子供達が覚えて
米兵の車の後ろを追いかける、という時代。
私達がもらったお菓子目当てに近所の子供達が来る。
母がみんなに配っていた。


父は従軍している時の食べ物がひどかったとみえて、
食べるものにお金をかけることを惜しまなかった。
まだ物の不自由な時代だというのに、あちこちのレストランに家族で出かけた。
私達にお腹いっぱい食べさせるのが嬉しかったのだろう。
おかわりをしなさい、と言って必ずオーダーしていたが
行きつけのある銀座のレストランで、
すみません、お米が足りなくなったので、これで終わりにしてください
と断られたのをまだ覚えている。
世間は配給米だったのだ。
このレストランは、おめでとうございます、お店からです、と言って
誕生日には蝋燭を飾ったホールケーキをテーブルに届けてくれた。
よく行く寿司屋では奥の座敷に通され、寿司桶がいくつも並ぶ。
幼稚園の頃、築地のレストランでクロークにコートを預ける時
跪いた係の人が、お嬢様コートをお預かりします、と脱がせてくれた時の
特別感が、幼かったのにまだ思い出されて、胸をくすぐる。
その感覚が気に入って、よくねだっては連れて行ってもらった。
小公女気分?笑


しかし、おかげで兄弟揃って見事に肥満児だった😅


でもね、
洋食などまだ珍しかった頃だというのに
母の作ってくれたハンバーグやグラタンもなかなかのものでしたよ。


そして今、私は夜中に目が覚めて、気が向くと料理を作る。
美味しい物をつくる、その時間はけっこう楽しい。
その素地を作ってくれた両親に感謝。


さっき連絡があって
ラ・ベットラ・ダ・オチアイの予約を彼氏さんがしてくれた。
デート、デート!
さあ、何を食べよう、何を着て行こう。どんな時間を過ごそう。
今からワクワクする、笑

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