la vie est merveilleuse!

ふと思いついたことの徒然をゆっくりと

住宅ローンという名の借金

さんざん家を売ってきた私が言うのもなんですが、笑


あらゆる契約の基盤は信用である。
それを承知した上で
三分の理屈というものを思う時がある。


長年不動産屋をやっていて、いつも思っていたのだが
住宅ローンという大きな借金を背負ってまで家を買う、というのは如何なものか、と。
金貸しから借りるときは借金、というのに
家を買うときは、住宅ローン、なんて言葉でファジーにごまかす。
実体は、借金だよ、借金。とてつもなく大きな借金。
人生をかけて返さなくてはならない借金。


そしてご承知の通り
人生山あり谷あり、
もちろん、全体から見ればほんの数%かもしれないが
谷に転げ落ちる人もいる。
そういう人を何人も見てきた。


築2年の戸建の競売物件の下見で会った20歳代の若いご夫婦と2匹の犬。
犬を飼いたいなら賃貸よりも持ち家ですよ、
アパートの家賃と思えば良いんですよ、と不動産屋さんに言われた、と。
住んでわずか1年後に工場が倒産。
新築価格で買って、2年住むと何割か価格が落ちる。しかも競売ならもっと。
残りは彼らの借金として残る。この若い夫婦には大変な額だろう。


独身の高齢女性で、追い出されることに耐えかねて自殺をされた方もいた。
自分の持ち家で首を吊った。衝撃だった。


谷に落ちてしまった人に対して、銀行という名の金貸しは容赦しない。
身ぐるみはぎにかかる。家を競売にかけ、なお不足額に対して督促状が届く。
もちろん、返済できますと決断をして、契約を交わしたのは本人だから
身包み剥がされて、責任を取らされるのもやむなし、と思うのだろう。
でも、
この人は貸しても良いだろう、という決断をした方は損金が出る。
金融のプロとして、モテる限りの調査能力を駆使して、取れるだけの判断材料を提出させて
稟議を尽くして、返済できるだろう、という判断をした結果。
利率を付して利益を出すという、経済行為の結果だよね。
判断を誤った経済行為で会社に出るであろう損失の責任を、
返す、って言ったよね、家を売って返せよ、そして出ていけ、
それでも足りないから売れるものはさらに売れ、
まだ借金残ってますよお、と追い出されて行き着いた先にまで督促状を送りつける。
返すと言った責任の追求は全額返させるまで続く。
変じゃね?
貸す、と言った方の責任は?


調べて検討した結果、あなたなら返せるだろうと判断したから、
貸してやる、って言ったんだよね?
で、両者で貸します、借ります、って契約したんだよね。
貸した方は損失を出したが、それを取り戻すまで取り立てる。
借りた方は全て失い、なお残る借金。
なぜか腑に落ちないんですよ。
アメリカでは、競売にかけられて家を失った時点で債権債務は終わり、と聞いた。
日本のように、みんな失った人に、なお不足額を返せ、とまでは言わない、と。
こっちの方が合理的だと思うのだが。
ちなみに、日本の銀行の住宅ローの焦げ付く割合は極めて少ない。


まあ、督促されても、無い袖は振れないやね。
無視しきってしまう剛の者も、実は少なからずいることを、知っている、笑
しばらくは督促状が届くのが鬱陶しいだけ、だと嘯く彼等。


あ、でも、情に絆されただけの、何の調査能力も持たない個人が
知り合いだから、という理由だけで貸してくれた場合は除く。
これ、だいじなことですよ。
こうして借りた分は、絶対返そうね。


プロから借りた金は、踏み倒しても良い、とは言わない。
でも、命と引き換えはやめてほしい。
こういう時にこそ、たかが金、と言おう。
開き直ろう。人生と引き換えはやめよう。
借りた金を返すことは、一つには矜持の問題。
それは美学という意見もある。
でも私は、金貸しから借りた金の返済に命を賭す美学というものは無いと思っている。


住宅ローンは、それほど大きな借金です。


前述した高齢女性は、
無理なローンを組ませた不動産会社の前を通るたびに睨みつけていたという。
その社長は、私は仕事をしただけだ、と言っていた。
確かに仕事だ。
でも、無理を承知で買い替えさせたことを吹聴していたのはどいつだ。

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